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Home > Art Infomation > 鷹木朗氏ロングインタビュー

鷹木朗氏ロングインタビュー
昨年末も京都の「galerie 16」にて毎年恒例となる個展を開催した鷹木朗(タカギアキラ)氏に、ここ数年続く自然を描いた作品と、それにいたる経緯を語ってもらうロングインタビュー。


SPREADER.INFO(以下SI):年末のギャラリー16での個展というと、既に“毎年恒例”といった感じがしますが、作品展を開催しはじめてもうどれぐらいになるのでしょうか?

鷹木朗氏(以下鷹木):初めての個展は1979年です。私は1957年生まれですから22才でした。つまり大学の4回生ということになります。それ以前には、学校展やグループ展を数度経験したぐらいです。 その後、断続的に個展は開いています。多分全部で17回位だと思います。やはり、20代の後半から30代の前半は就職、結婚、子供など、生活が慌ただしく、財布も寂しく(これは今でもですが)、個展という発表形式はなかなか難しいものがありました。その間は定期的なグループ展(9年続きました)や二人展(3、4年続いたと思います)を発表の中心にしていました。毎年11月頃ギャラリー16で個展を行う、という形は1990年が最初だと思います。33才の時ということになりますね。それ以降、1999年(この年は福井と兵庫の美術館に作品を発表する機会がありました)を除いて毎年開催しています。

SI:近年の作品は植物をモチーフとしたものが続いているように思うのですが、これは何年前ぐらいから続いているのでしょうか?

鷹木:最初に植物をモチーフにしたのは1995年のことです。この時は、それ以前に取り組んでいた、人体の一部をモチーフとするものと並行して制作しました。むしろ、私にとっての重要な転換点は、1990年から始めた「モチーフを用いる、描く」ということでした。それ以前の作品は、絵画がそれ自身として存在する、それ以外の何物でもないという具体性を常に念頭に置いていました。つまり、絵画が何物かを指し示したり、再現するものとしてあるのではなく、例えば音楽のようにそれ自身の喜びとしてあること、さらに一歩進めて、抽象的な何かを表現するのでもなく、それそのものが自然物と同じような即自存在であるということです。これは、いわゆる抽象絵画(だけではありませんが)のある時代の基本テーゼとも言えるものでした。また、西洋絵画の500年の歴史の必然的帰結という見方もできるかもしれません。私もそのことを土台として制作を始めました。でも、本当にそのことを信じていたわけではありません。そのことを突き詰めて行くと、絵画と言う形式そのものが行き詰まってしまうというか、他の形式にシフトして行くことになる。それはそれで良いのだけれど、なにか、絵画という形式に置いてきぼりにしてしまった大事なことがあるような気がする。今の私たちにとっての絵画の可能性があるような気がする、という思いがずっとありました。私にとって絵画の制作は、最初から「絵画のもうひとつの力」を求める旅でした。その過程の中で、「モチーフが存在する」絵画といものが生まれて来たのです。モチーフの採用は、ある意味で私の制作にとって異物の導入でした。「何を描くか」が大事なのではなく、「描く私と緊張関係にある他者の存在」が必要だったのです。植物というモチーフはその試みの中で発見されたものです。

SI:紆余曲折を得て現在の形式に至ったという事で、そこには様々な思いが込められているようですね。やはりこれだけ同じカテゴリーの作品が続くということは、周囲からは察する事の出来ない、何か本人にとって特別な感情があったりするのでしょうか? ある種自分の道を極めたような(笑)、そんな感じだったりしませんか?

鷹木:先程お話したような経緯で現在の形式が発見されたわけですし、それが7年も続いているということは、自分にとってもきっと何かの意味があるのでしょう。そしてそのことを探りつつ、次の制作が行われる筈です。つまり、次の段階でモチーフや形式が変化して行くことは当然あり得るでしょう。

SI:一見するとストロークに特徴があるようにも見えますが、個人的には99年の作品を筆頭にして、“色”がかなりの重要度を占めるように感じます(特に年毎の作品を並べるとより一層強く感じる)。79年頃の初期の作品は色面の要素が強いようですが、やはりこれらの作品達が今描く作品の礎となっており、長い年月を経て“色=色”から、“色=空気感”へと伝達式が昇華されたように感じました。このあたりの作家側の意見、そしてそういった感じ方をする人がいるということについての御意見をお聞かせ下さい。

鷹木:「色」は制作の上で常に最も重要な要素です。色が制作を進め、色によって完成が決定されます。必ずしも「美しい色合い」というものが重要なのではありません。それは初期の作品でも同じで、その色面は「配色」ではないのです。制作を進める上で、形態が論理的な思考を促すのに対し、色彩は感覚的な要素が大きいようです。私にとって色は常に謎でもあります。私の作品の色に関してどのような見方があるのかは、何時でもたいへん興味のあることです。


2001年12月18日〜27日にギャラリー16で行われた個展での作品

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鷹木 朗(たかぎ あきら)
1957年東京に生まれ、その後滋賀県で育つ。
京都インターアクト美術学校などで教師をするかたわら、一貫して絵画の制作を行う。
現在は植物というモチーフを援用しながら大画面に取り組み、絵画が持つ「時間」の意味を考え、深めていこうとしている。
 
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